2015年 8月16日〜31日
8月16日 劉小雲〔犬・未出〕

 昨日、ご主人様が帰ってきたのですが、早々にケンカです。
 原因は、ぼくがまた背を向けて寝たことで朝からグズグズ言うからです。

 ぼくもなぜか、流せない。彼が帰って来た時からずっと不機嫌なのです。いっしょに食事しても、風呂に入っても、抱かれても、なぜかイライラする。

 ゲーム機引っ張り出す、やつの後頭部を見ていると、旋風脚ですっ飛ばしたくなります。
 彼が顔を見せるまでは、平和だったのに。体調でも悪いのかな。


8月17日 劉小雲〔犬・未出〕

「日本の温泉に行きたい」

 ぼくはわざとわがまま言いました。案の定、主人は渋りました。

「今、夏休み中だぞ。どこも予約いっぱいだ」

「でも、前は行けたでしょ」

「あれはおまえ、おまえが国に帰りたいって言うから――」

「不可能じゃないってことでしょ。同じだけ努力してください」

 ダメ、と主人は切りました。

「おれの『オフ』なの。おまえは『オン』なの! おまえが努力しろ」

 クソ野郎! なぜかその途端、中国語で罵声が出てしまいました。
 主人は中国語がわかります。スラングも堪能。


8月18日 劉小雲〔犬・未出〕

 主人は目を丸くして、見返しました。
 ぼくはあまり人を罵る人間じゃないんです。汚い言葉もめったに使わない。

 ぼくもおどろき、あわててその場を離れました。なにかおかしい。中庭で調息をしました。主人も出てきました。

「どうしたの」

「……」

「温泉、そんなに行きたかったのか? 前から言ってくれたら予約してたのに」

 ぼくは憮然と言いました。

「温泉に行きたいんじゃなくて、あなたに腹がたってるんですよ」


8月19日 劉小雲〔犬・未出〕

「なんで」

「朝から寝方がどうのこうの、うるさい」

「……」

 主人は口をとがらせました。

「だって、朝、目が醒めたら、おまえの寝顔が最初に見えたら、一日楽しい」

「そのわりには起きるの遅いですよね」

「そら、前の晩がんばったし、しかたない」

「あれだけで? 二回だけで?」

 言って、しまった、と思いました。もう遅い。主人の目に笑いが光ってました。

「え? 何? 数の問題? そういうこと?」

「そうじゃなくて」

「数が少ないと、温泉なの? へえ」


8月20日 劉小雲〔犬・未出〕

 ぼくはついムキになって言いました。

「遅いんですよ! 帰ってくるのが! ほかの方は7月にはもう帰ってきているのに、なぜ、8月も半ばになってからなんですか。ぼくのことはあとまわし? 飽きた? じゃ、解放してください。売り戻してもいい!」

「それは一生ない!」

 主人が怒鳴りました。ぼくはおどろき、見返しました。

「おれがおまえを手放すことは一生ない。こないだはチャンスをやった。もう二度とやらない。後悔しても遅い。おまえはおれの恋女房だ。一生、おれだけのものにする」


8月21日 劉小雲〔犬・未出〕

 ぼくはあっけにとられて、彼を見つめました。
 彼はみるみる赤くなりました。小さい声で言いました。

「……なんとか、言えよ」

「……」

 ぼくもなんと答えていいかわからない。なんとなく屈伸し、調息し、練功しはじめてしまいました。

「小雲、なにしてんの」

「……温泉じゃなくてもいいですよ」

「え」

「タイ旅行でもいい」

「何言ってんの?」

 ぼくも何言ってるのかよくわかりません。でも、主人がキスしてきた時、笑えてしかたなかった。

 ずっとあった不機嫌はどこかに吹っ飛んでました。


8月22日  補佐〔按察官補佐〕

 今日はスタッフ用娯楽施設についてお話しましょう。
 
 アクトーレスだけでなく、ヴィラには多くのスタッフが居住しています。男社会ですので、ヴィラ開園の黎明期は暴力沙汰も多くありました。
 特にレイプ。屈強なホモばっかり集まってますからな。

 犬に手を出すケースもしばしばあり、ヴィラの信用問題にかかわるということで、いくつか娯楽施設が作られました。

 まず飯屋関係。カフェやパブですな。労働人口比に比例して各国料理屋が作られました。元は食堂しかなかったんですよ。


8月23日  補佐〔按察官補佐〕

 スポーツジムは元々インスラに配してありました。

 どうしても自然に触れたいアウトドア派のためにヴィラ北東側の森林部分が開放されています。
 マラソン、森林浴などが楽しめます。軽食の売店も設置され、ピクニックやデートなどに訪れるスタッフも多いようですよ。やはり町の中に居続けると息がつまりますから。

 われわれとしては、スタッフに契約期間内にあまり出歩いて欲しくないという本音があります。


8月24日 補佐〔按察官補佐〕

 そして、最も大事なのがお色気施設。

 スタッフのためのわんわん宿ができました。
 ここの犬はレストランなどと同じ使役犬です。給料プラス、ペクリウム(奴隷財産)で身分を贖います。
 お客様用の犬たちより等級は下がりますが、犬チップを貯めるためにかいがいしく奉仕しています。

 ここには農場の刑徒を活用しようという話もありました。が、スタッフ同士、身につまされてしまうようで利用者が少なかったのです。復帰する者もいますしね。
 ただし、今でも重罪者は指名することはできます。


8月25日 補佐〔按察官補佐〕

 もう少し手軽なお色気施設としては、週一で開催されるバス施設があります。

 ここはその目的のために集まるお風呂大会です。誰も性病をもっていないとわかっているので、安心して遊べます。週一の開催なので多くの利用者で賑わい、毎週お祭り騒ぎになるようです。

 また、お色気施設というわけではありませんが、外の世界と同じくカフェやクラブなどはナンパに使われることが多いようです。

 ヴィラとしてはスタッフ同士でつるんでくれるのは歓迎。お客様に手を出すとトラブルになりますから。


8月26日 フィル〔調教ゲーム〕

 ロビンがゴーヤをもらって帰ってきた。

「きみ、キライだって言ったじゃないか」

「そうなんだけどさ。ご主人様もいるし」

 いつかナオトに調理法を教わった。なんとなく、思い出してもらってきてしまったのだという。

 ご主人様が出てきて、ゴーヤか、としげしげと見つめた。ぼくは彼が考えていることがわかった。

「ご主人様、一応、言っておきますが、今年に入って三件だそうです」「?」

「ゴーヤをつめたアホが病院に運ばれた件数です」

「……」

 ご主人様はそっとゴーヤを戻した。


8月27日 巴〔犬・未出〕

 おっちゃんが日本に帰った。
 久しぶりに踊りまくった! ひゃっふー! 

 朝からガンガン好きな曲かけて、新しいステップ練習して、昼はおみやげのカップラーメン。コーラ飲んで、ポテチ食べて、またダンス。

 でも、夕方には、米を研いで炊いていた。ちゃんとみそ汁も作り、ナスの漬物を切り、ヌカ床の手入れもした。

 ひとりで夕食を食べている時、あまりに静かで愕然とした。自分のたてる音だけ。ナスの漬物を食べながら、つまらなすぎてとまどった。

 前はこれが当たり前だったのにな。


8月28日 巴〔犬・未出〕

 今日は気分が重かった。

 踊っても、テレビを見ても、マンガを読んでも憂鬱だ。この悲しい感じが、『さびしい』だと、やっと気づいた。

 おどろいた。
 さびしいなんて感情、忘れていた。

(前は、どうやって人と会わずに済むかだけを考えてたのに!)

 ナスの漬物がいい漬かり具合で、うまかった。おっちゃんにも食べさせたかった。
 風呂に入ると、夜空の星がきれいだった。流れ星がひとつあった。おっちゃんに教えたかった。風呂上りのスイカ、ひとりでは多すぎる。

 ――と、思ったらアルが来た。


8月29日 巴〔犬・未出〕

「お届けものです」

 というから、うっかり出たら、アルだった。

「やーい。ひっかかった」

 おれは硬直した。アルだけではない。後ろには不機嫌な美形、ミハイルが立っている。
 孤独もさびしさも吹っ飛んだ。

(ななな何? なんで来た)

「これ、食べない?」

 差し出したのはゴーヤだった。

「日本人なら食うでしょ」

「……」

 まあ、食えないこともないけど、そんなに好んでは……。
 それでもおれは受け取った。そればかりか信じられないことを口にした。

「あの、スイカ食べます?」


8月30日  巴〔犬・未出〕

 しまった、と思ったが、アルは無邪気に笑顔を見せた。

「食べる。ありがとう」

 勝手に靴を脱ぎ、ずかずかあがりこんできた。ミハイルも続く。

 おれはしかたなく厨房に戻り、スイカを切った。
 アルとミハイルは勝手に濡れ縁に座り、庭を見てしゃべっていた。

「いいよね。ここの家の風呂。うちもこれやりたい」

「京都の旅館みたいだな」

 おれがスイカを持っていくと、ふたりは遠慮なくかぶりついた。

「塩、ご主人様と同じだ」

 とアルが笑う。おれはへどもどとろくに返事ができなかった。
 
 なぜこんな事態に。


8月31日 巴〔犬・未出〕

 ふたりは好き勝手しゃべり、丸半分のスイカを食い切った。
 おれは給仕みたいにそのそばに座っていた。

「美味かった。アリガト。ゴチソウサマ」

 アルは帰り際に言った。

「ゲーム、レベルあげしたいからまた手伝ってね」

 ミハイルが言った。

「キミもたまにはうちに飯を食いに来い」

 アルが少しおどろき、おれのそばによって耳打ちした。

「こいつが人を招待するの、はじめて見たよ」

 ふたりはバイバイと去っていった。おれは戻って、スイカの皮を片づけた。

 なぜか、気分は悪くなかった。


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